町指定文化財
永山古墳 指定年月日 昭和59年12月7日
この永山古墳は、6世紀後半に造られた円墳であります。
この城山公園駐車場整備工事の際、塚状の高まりが確認されたので、木城町教育委員会が主体となり、昭和56年に宮崎県教育委員会により試掘調査が実施されました。調査の結果、内部が横穴式石室の古墳であることが分かりました。
横穴式石室とは、朝鮮半島より伝わってきた埋葬設備であり、追葬、合葬が可能な入口部を持ち、石を丁寧に積み上げて造られた墓室であります。県内では西都原古墳群にある鬼ノ窟古墳(西都市)、狐塚古墳(日南市)、野首第一遺跡(高鍋町)で確認された円墳などでこの石室が使われています。また全国的に規模が大きいと考えられるのは、蘇我馬子の墓とよばれる石舞台古墳(奈良県明日香村)が有名です。

これらの石室から当時の我が国と朝鮮半島との技術の交流が理解できます。
さて、この永山古墳の発掘調査から見つかったものは、朝鮮半島から製造方法が伝わったといわれる、須恵器(すえき)と呼ばれるものが主で、薄手で焼かれた土師器(はじき)と呼ばれるものもあります。他には、玉類や鉄器など見られていますが、これらのうち鉄器については、馬に乗る道具である馬具や軍事的要素を持つ鉄鏃、直刀などがあります。

これらの副葬品から、被葬者は軍事的な力を持つ豪族の可能性が考えられます。
また、これらの古墳は規模や形状によっては、その埋葬されている被葬者の地位、実力などが分かることがあります。当時の政治の中心であった天皇や豪族の古墳は大規模な前方後円墳が主であります。永山古墳の被葬者も当時の木城町周辺に影響を与える何らかの実力者であった可能性が考えられます。
平成18年 木城町教育委員会
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- 2008/07/21(月) 22:45:00|
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